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第四章~自分の心を見失った浪人時代~

身体が自由に動かなかった浪人時代

当然のごとく大学受験に失敗した僕は
名古屋の河合塾に通うことになります。

頭がパニック状態とはいえ、一応進学校に通っていて
かつ一通り試験範囲は学んでいたので

今まで勉強できずに遅れていたんだ。
スタートダッシュをかければ受験も上手く行くに違いない!

そう考えた僕は、4月…いや、3月から
受験勉強を猛スピードで開始しようとしました。

しかし、6月ごろにおかしな現象が起きます。

よく寝ているはずなのに
勉強を始めようとすると猛烈に眠くなる

または

机に座っていると
背中と腰が猛烈に痛くなって勉強に集中できない

こんな調子なので
だんだんと受験勉強にも身が入らなくなって行きます。

もう夏ごろには形だけ予備校に行っている状態に。

しかし、勉強は出来ないのに
テレビは観られるし、ゲームも出来るのです。

その状態だけ聞くと
単なる甘えや現実逃避に聞こえるかもしれませんが

今思うと、心と身体が
全力で勉強から離れようとしていたのだと思います。

また、高校生の頃よりも少しだけ楽になってはいましたが
トイレの恐怖や強迫観念も無くなってはいませんでした。

模試などでは、頑張って問題を解くことよりも
トイレで教室を抜け出さないように氣を使うので精一杯。

これらの原因は家庭内のストレスなのですが
周りに氣を使い過ぎて、自分の感情が分からなくなっていたのだと思います。

「あと少しで上手く行く」のに、自分で台無しにするクセ

それに関連して
僕には、中学生の頃からおかしな癖がありました。

普通の生徒だったら
テスト習慣が始まってから勉強を始めて

テストが近づいてきたらラストスパートをかけて
テストが終わったら開放感に包まれ、息抜きをする

これが当たり前だと思います。

しかし僕は、2週間くらい前から勉強を開始して
テストの3日くらい前にテスト範囲を全て勉強し終えてしまうのです。

ここまでは良いのですが、そこで

もう、これ以上頑張らなくてもいいかな…

と、なぜか失速して勉強の意欲が失せてしまうのです。

そして結局、テストでは詰めが甘く
直前で追い込みをかけて勉強した人の方が
成績が良かったりしました。

最初は単なる油断なのかなと思いましたが
この文章を執筆している今だからこそ分かる
僕の【心のクセ】があったのです。

それが受験勉強に発揮されてしまったら
当然人生をかけた試験で勝てるわけがありません。

とてもとても根深い
今でも完全には払拭できていない【心のクセ】。

どんなに頑張ろうとしても
完成しそうになると自分でそれを壊してしまう。

とてもとても、苦しかったです。

そんな時、通っていた高校の集まりがあって
顔を出してみると、数学の先生とお会いしました。

その時、僕が悩んでいたことを話してみると

「そこまで人生に思い悩んでいるのなら
出家でもした方がいいかもしれんな。

でも、2浪はしないほうがいい。
家と予備校の往復だけだと、人間ダメになって行くから。

どの学部に行ってもみんな勉強なんてしてないんだから
とりあえず大学生になってみたらどうだ」

と、アドバイスをもらいました。

心理系に進みたいなと思っていた僕ですが
「それも一理あるのかもしれないな…」と思いつつ
浪人時代の受験は、当然全くダメ。

全然興味のない法学部に願書を出し
先生のアドバイス通りに大学生になってから考えてみることにしました。

自分の心が見えない…

しかし…案の定数ヶ月すると
「俺はここで何をやってるんだろう…」という思いがもたげてきて
授業に出るエネルギーが無くなって来てしまいました。

トイレと強迫観念の症状もひどく
必修の英語の授業にも出席できなくなってしまいました。

9月ごろには親に相談もせずに退学届けを出してしまいました。

本来なら学費を出してもらっている両親に相談をして
行動するべきだということもわかっていました。

しかし…僕のストレスの元凶は父親でした。

今でさえ和解出来ていますが
当時はいつ怒り出すか分からない恐怖と
子どもの心に寄り添ってくれないという怒りなど

様々な気持ちが入り混じって
まともにコミュニケーションが取れていない状態でした。
(文章で表現するのは、限界があります…)

学費の面などで迷惑をかけていたのは
重々承知していましたし

人には

お金を出してくれるだけありがたいと思いなさい
大学に行きたくても行けない人もいるんだから

と言われましたが

俺がこんな風になったのは親父のせいだ!
金くらい出してくれて当たり前だろう!

大学になんて行けなくたって
心安らかに過ごせる家庭が欲しかった!

と、本氣で思っていました。

これ以降も、両親には
お金の面では迷惑をかけてしまいましたが…

これから、恩返しをして行ければと思っています。

大学進学じゃないなら、俺は何をしたいんだろう…?

それから

受験勉強しようとすると心と身体が拒否をする。
だったら何をして生きて行けばいいんだ?

という、苦悩の日々が続きました。

この頃は欝っぽくもなっていて
毎日死んだ顔でパソコンに向かって

鬱掲示板

なんてものを覗いて

苦しんでいるのは自分だけじゃないんだ…

と、安心していました。

そこから一年ほど、大学進学を諦め
ギターばかり弾いている日々を過ごします。

しかし、そこでもやはり
「音楽で食べて行くというほど情熱があるわけでもない…」
と苦悩が生まれます。

この頃は
「このままではいけない」
「みんなが普通で、自分は異常なんだ」
「とにかく早く追いつかないと、置いて行かれてしまう」
という思いに支配されていました。

子どものころの環境が与えてくれる「生きるエネルギー」

自分が
「何をしている時が幸せか?」
「どうして行きたいのか?」などということを
多くの人が、当たり前のように決定できるのは

自分の気持ちを「感じる」ためのエネルギーが
自然に備わっていたからです。

そういう人から見ると
僕の行動は「甘えている」ように見えるかもしれません。

しかし

【苦しくなったら自由に息が吸える人】には
過呼吸の人の気持ちはわからないでしょう。

【お腹が空いたら自由にご飯が食べられる人】には
摂食障害の人の気持ちはわからないでしょう。

【眠たくなったら自由に寝ることが出来る人】には
睡眠障害の人の気持ちは分からないでしょう。

【移動したかったら自由に脚を動かせる人】には
車椅子の人の気持ちは分からないでしょう。

【近くに欲しいものがあったら自由に手を伸ばせる人】には
目が見えない人、手を動かせない人の気持ちは分からないでしょう。

みんな、人間は

経験したことの無いことはわからない

のです。

だからこそお互い助け合えるのですが
概して「心の悩み」というものは目に見えないからこそ

【甘えている】
【意味が分からない】
【頭がおかしい】
【気持ち悪い】

などと、受け取られがちです。

だから僕は

肉体か精神が
限界まで苦しまなければならないとしたら
どちらが苦しいと思う?

と聞かれたら、迷いなく「精神」と答えます。

肉体も確かに苦しいです。

しかし、どちらも限界までダメージを負うと
行きつく先は「死」です。

唯一の違いは

周りに理解者がいるかどうか

です。

周りに心配してもらいながら死ぬのと
周りに気持ち悪がられて死ぬのと、どちらが辛いか?

僕は、後者だと思います。

だからこそ僕は

人に理解してもらえない苦しみを持つ人の気持ち

を、自らの経験から学ぶことが出来たと思っています。

序章~恵まれていた少年時代~

第一章~心が悲鳴を上げ始めた~

第二章~強迫神経症発症~

第三章~自分を見失い孤立した高校時代~

第四章~自分の心を見失った浪人時代~ ←いまここ

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